・人は自分が一番良かったときのことと結果の話ばかりする。
「ピークエンドの法則」とはその名前の通り、
ものごとのピーク(絶頂)とエンド(終わり)の印象の良し悪しに全体の感想が左右されてしまうという法則だ。
「終わりよければ全てよし」「人間は自分が一番良かったころの話をしがち」というのはこの法則によるものである。
たとえ過程がどのようなものであっても一番印象に残っている場面と最後がどうなったのか、どう感じたかが全体の印象を決定づけてしまう。
具体例を交えて説明していこう。
まず誰でもいいから一人身近な人について思い出してみよう。
誰でもいい。友人、家族、職場の人、会ったことのある誰かの顔を思い浮かべてみて欲しい。
さて、あなたがその人を思い出すときその人そのものだけを思い出しているだろうか。
きっとその人が何かをしている場面や自分に対して何かをしてくれている場面を思い出したのではないだろうか。
大体において誰かのことを思い浮かべるとき、人はその人自身に加えて小さなエピソードも一緒に思い浮かべる。
たとえばその人が昔優しくしてくれたときの光景だったり、反対に怒られて怖かった場面などだ。
あるいは、一番最後に会ったときや直近のできごとを思い出した人も少なくはないだろう。
このようなときに普段の何気ない会話やその人と最後から二番目に会ったときのことを思い出す人はほぼ居ない。
人は一番思い出しやすい最近のできごとと一番記憶に残った、もっとも感情が揺さぶられたときの思い出に記憶が左右されるのである。
また、「人は自分が一番良かったときのことと結果の話ばかりする」と最初にあるようにこのことは何も対人関係のみに言えることばかりではない。印象に関する話ほぼ全てにいえる。
自分の自慢話や結果論など他人からつまらない話を聞くときは面倒くさいのに自分のことになるとついつい自慢話をしてしまったり、他人の行動に結果論で口を挟んでしまうのも同じ法則によるものである。
自分の自慢話をしてしまうのは単にその話をするのが気持ちが良いというのもあるが、それに加えてそれまでの辛い過程や経過、何があったかなど実はあまり覚えていないのである。
たとえば大学生時代が人生のピークだった人が居たとしても大学生時代1秒たりとも辛いことや悲しいことがなかった、もしくは何もしていない時間がなかったとは絶対に言えないだろう。
人生で辛いことや悲しいこと、何もしていなかった時間がない人など居ないにも関わらず大学生時代が人生のピークだった人間はついつい大学生時代の話をするときにその期間中ずっとハッピーだったように喋ってしまう。
辛いことや何でもないようなことは覚えていないからである。
結果論を語りがちなのも同じで、仕事でも勉強でも恋愛でも何か結果が出るものについて実際にはその期間中には様々なことが起こり、そのことについて対処したりあるいはまったく他のことについて考えている時間も少なくないのにも関わらず結果が出たときに一番記憶に残っているのはたった今結果が出たということについてだけなのである。
思い出せないということはないものと同じなので人はついつい結果論を語ってしまうのである。
ちなみにこのピークエンドの法則は特に映画などの映像作品や小説などの文芸作品で広く使われており物語をハッピーエンドにしたり、あるいは残酷な結末を物語の最後に持ってくるのはこの手法によるものである。
またわざわざ日常の何気ないシーンや盛り上がりを見せる場面の直前に思わせぶりな不穏なシーンなどを入れるのもピーク(絶頂)をより際立たせるための効果的なやりかたである。
物語のピーク(絶頂)に全体が左右されてしまうなら面白い場面を何個も作って印象を薄くしてしまうよりも一度きりのピークをより鮮明なものにするほうが記憶に残るのである。
もちろん映画などの映像作品だけでなく恋愛などの場面でも応用の幅がたくさんあるのではないかと思う。
以上が「ピークエンドの法則」の基本的な説明である。
さて、いきなりの派手な大文字に驚いたあなたは最初の見出しになんと書かれていたか覚えているだろうか?