・誰だって損はしたくない
プラスマイナスがゼロになるのは数学上の話だけだ。
じゃあプラスマイナスがプラスになるかといわれれば当然そんなワケはなく、プラスマイナスの結果はマイナス以外の何物でもない。
1000円渡されて1000円奪われた場合に残るのは嫌な気持ちだけであることに疑う人は多くないだろう。
人間は損失というものについて過大評価してしまう傾向にある。
数学的に同じくらいのプラスとマイナスを並べられてもマイナスのほうに敏感だ。
この心理的傾向は多くの人が体感としてもっており、ショッピングモールなどで目に留まった商品を手に持ったあとそのままレジに持っていく人は多くない。
「でも、似合わなかったらどうしよう…」だったり「もっと安くて良いものがどこかにあるかもしれない…」といったマイナスの要素が頭のなかによぎって商品売り場に戻してしまうことのほうがよほど多いだろう。
そしてどうせ買うならば得をしたいと考えるのは普通のことだが100円の価値があるものを100円で買うはずなのにそのことにより「得をしたい」と考えるのは逆に言えば損をするというリスクを過大に評価している証拠でもある。
ここまでの話でそんなことは当たり前じゃないか、という人も居るだろうがその当たり前の感覚が大切で、では当たり前でないという場合はどのような場合だろうかという話になってくる。
たとえばギャンブルは損をする確率のほうが高いということは多くの人が知っていることだが知っていながらもギャンブルをする人間は世界中に溢れており、損をするのを知っているにもかかわらずつまらないものを衝動買いしてしまうのは当たり前でない状態ではないだろうか。
人間が損失回避性をもつ理由の大きな要因は死と隣り合わせの自然の中で50%で成功50%で失敗=死ぬという選択を取り続ける個体が子孫を残し続ける可能性は高くなく、誰よりも慎重にことを運んだ個体のほうが生き残りやすいといった理由からきている。
そんな本能レベルのバイアスを突破して人間が行動を起こすためには強力な他のバイアスがかかっているのである。
誰だって損はしたくない…けれども全く行動しないというわけでもなく様々な要因によってその心理的傾向を振り切って行動を起こす。
それをさせようとするのが昨今の広告でありマーケティングであり行動心理学といった話になってくる。
なので当たり前がどのような状態なのかを知っておくことがとても大切なのである。
損失を過大評価する人間に損失を過少評価させたり無いものと錯覚させたり、損失をどれだけの利益を出せば上回れるか、それが仕事の交渉術といい商売術といい恋愛事といいその他エトセトラの物事に対しての永遠の悩みなのだ。